松江城=島根県松江市殿町に構える松江城は、別名千鳥城と呼ばれ、天守閣の大きさ(平面規模)では全国で2番目・高さは30mで3番目・古さでは6番目。出雲初代城主の堀尾茂助吉晴(ほりおもすけよしはる)=堀尾吉晴が慶長9年(1607)から5年の歳月をかけて、慶長16年(1611)に松江城を完成するが、完成目前の慶長16年(1611)6月17日に堀尾吉晴は出雲国広瀬富田で病死、(温厚な人柄で仏の茂助さんと呼ばれた)68歳であった。松江神社に祀られています。その後城主は堀尾忠晴・京極忠高・後に徳川家康の孫に当たる松平出羽守直政が信州松本から移城されて10代(234)年間18万6千石を治めます。明治8年の松江城内取り壊しの時には天守閣だけが免れて現在に至ります。、松江城天守閣は、望楼様式を加えた複合天守閣で、黒塗りの雨覆板(下見板張り)でおおわれ石垣はごぼう積み又は野面積(のずら)みと呼ばれる工法で積み上げられています。ちなみに7代めが茶道で有名な松平不昧公。隣に面した宍道湖から湖水を引き入れて松江城を防備する外堀は、堀川めぐりとして遊覧船で城外周遊コースに利用されています。小泉八雲もこの松江城周辺をよく散歩したそうです。周辺の見所としては興雲閣・城山稲荷神社・塩見縄手・武家屋敷・小泉八雲記念館・小泉八雲旧居・田部美術館・などがありますが疲れたら二の丸茶屋で一休みするのも良いでしょう。交通=JR松江駅から松江城までバスで5分 参考・松江城登閣料、大人¥550円団体¥440円・子供¥280円団体220円・時間8:30〜17:004/4〜9/30日までは18:30分閉閣*堀川遊覧船営業時間、3/1〜6/30日9:00〜17:00・7/1〜8/31日9:00〜18:00・9/1〜10:20日9:00〜17:00・10/21〜11/30日9:00〜16:00・12/1〜2/末10:00〜15:00*乗船料・大人¥1200円・子供¥600円、団体割引あり
松江郷土館(興雲閣):1902〜1903年(明治35年〜明治36年)に建築費用¥13,489で建てられました。建築面積522,09u/敷地面積2,306,24u明治天皇を山陰地方へお迎えしようとする目的で建てられたが日露戦争勃発の影響などもあって、日の目を見る事はなかった。しかし1907年(明治40年)に皇太子嘉仁親王(大正天皇)の山陰御巡幸時に5月22日〜25日までの4日間、御宿泊所となり、迎賓館としての役割を果す。1973年(昭和48年)には内部に松江郷土館が開設されてる。ロシア風スタイルの建築様式を持つ興雲閣は1階と2階に列柱(コロネード)を配し、1階は石敷き、2階は回廊の特徴をもつ。1969年(昭和44年)に島根県有形文化財に指定されています。松江郷土館は興雲閣の保護と郷土資料の収集展示を目的にS48,11/3オープンしました。
・・・画面サイズ1024×768で適正化・・・
松江郷土館(興雲閣):1902〜1903年(明治35年〜明治36年)に建築費用¥13,489で建てられました。
松江郷土館手前の樹木は桜とモミジで季節になれば花を添えます
松江郷土館(興雲閣)の入口から見た2Fに続く木造階段と日本三大船神事
ホーラエンヤの祭り船、右
どう行列で使用するどう台で1915年(大正4年)から
27町内が交互に参加してどう叩きをしながら練り歩く伝統行事
興雲閣2階は回廊風になっている
千両箱・箱裏に「弘化2年1845年4月」人参方と記録
され、松江藩の人参方が所有していた21番目の千両箱
朝鮮人参・江戸時代にはオタネ人参と呼ばれた
生活用具
狂言の面
北前船・(加賀港)江戸時代には海上輸送が盛んになりって
河村端賢が西廻り航路がひらき、松江藩の港湾整備事業も推進されて加賀港は繁盛する
竜宮船・1月7日の祭りの為に1月5日から造り始める
麦藁を50本ずつ束ねて糸で巻き、それを竹釘だけで止める複雑な作業
北前船の時代(美保関の船問屋)1696年には船問屋の数は
38軒、1850年には42軒に増えている
石臼(右)・上臼と下臼の間に歯が刻まれて回転させて
製粉や豆腐作りに使われた・弁当箱・竹や柳で編んでいるために軽くて便利
たらいと洗濯板・洗濯機が広まるまでの間、衣類は
これで洗濯した。右はアイロン
松江郷土館(興雲閣)のベランダ
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