城山稲荷神社式年進幸祭(じょうざんいなりじんじゃしきねんしんこうさい)=ホーランエンヤ・徳川家康公の孫にあたる松平直政公が藩主として入国した翌年に藩内の安穏繁栄を祈念して、かねて信仰していた稲荷大神(宇迦之御魂神)を出雲隠岐両国の守護神として城内に祀られた神社。直政公が入国してから十年目の慶安元年(1648)は天候不順で、これに心を痛めた直政公は当社の御神霊を船渡御によって出雲郷にある阿太加夜神社に移し、長期にわたり五穀豊穣の大祈祷を行わせたところ祈願が成就し、以来十年目毎に御神幸が行われる慣わしとなりました。神輿船の曳船として櫂伝馬船が加わるようになったのは文化五年(1808)の御神幸の際、大橋川から中海に出る馬潟沖で風雨が激しくなり神輿船が危険になったのを馬潟の漁師が助けにでて出雲郷まで無事にお送りしたことに始まり、その後馬潟、矢田、大井、福富、大海崎の五つの地区の櫂伝馬船が神輿船の曳船をつとめることとなって、江戸末期からは12年毎の5月に斉行されました。この神幸祭は俗にホーランエンヤといわれ、初日の阿太加夜神社への渡御祭と「五穀よく稔り、諸の蒼生(あおひとぐさ)に至るまで思わざるの災いなく、世のやすく、穏やかにありなんこと」を祈念する7日間の大祈祷の後、当社にお帰りになる還御祭は7百隻にも及ぶ大船行列で、櫂伝馬船の上では歌舞伎衣装の剣櫂や女姿の采振りがホーランエンヤの唄にあわせ勇壮華麗に舞踊る絢爛豪華な時代絵巻を繰り広げる日本三大船神事の一つといわれています。
写真
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城山稲荷神社:朱の鳥居
城山稲荷神社の大きなキツネが並ぶ
階段を登ると本堂がある
城山稲荷神社本堂・裏手にはキツネが群がる
本堂を囲むようにキツネが二千匹いると云われています
キツネ、きつね、狐・・・
さらに狐、キツネ、きつね・・・更に、・・
ここにもキツネが隠れていました
キツネの山盛りはいかが?
城山稲荷神社に目つきの悪そうな大キツネ
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