開運の神社仏閣、出雲國神仏霊場の巡礼/スピリチュアル写真壁紙
開運の神社仏閣 出雲國神仏霊場
山陰地方、島根県の出雲市大社町にある出雲大社から出発して、鳥取県西伯郡大山町にある大山寺を経由、出発点の近くにある日御碕神社で終点となります。古事記や出雲風土記に登場する由緒ある神社仏閣を巡礼しますので御利益、おかげが、さぞある事でしょう。この中には縁結びや金運、開運、健康祈願、長寿ほか、武道、スポーツ上達の神様やスピリチュアル.パワースポットなどでも有名な場所が含まれています。早朝から頑張れば一日で全社寺を回れます。20社寺の巡拝を終えられた方には、有料で「満願之証」も授与しています。 その他、金運神社として人気が高い宇倍神社と金持神社は枠外として別の日におすすめします。宇倍神社はおかねに御縁があり、商売繁昌の神様として全国的に有名で、全国の神社のなかで宇倍神社が最初に、五円紙幣に載せられ、以後大正・昭和と数回に渡って五円・一円紙幣の図柄となりました。金持神社は何とも御利益がありそうな縁起の良い名前の神社ですが、弘仁元年(810年)に出雲国薗妙見宮の神官の次男が伊勢神宮参拝の道中、金持の地まで来るとお守り袋に入れてあった玉石が急に重くなり、宮造りをするようにとの神夢を見ます。このお告げに従って玉石を里の氏神として宮造りをしたのが由来で、その後、開運伝説が囁かれるようになったそうです。
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・出雲國神仏霊場:巡礼コースはNO.1の出雲大社から順番に廻り、NO.20の日御碕神社が最後になりますがどこからスタートしてもかまいません。また大神山神社奥宮は大山中腹にあるため、積雪が多い冬季の11月上旬〜4月中旬までは「大神山神社奥宮:尾高本社〒689-3514鳥取県米子市尾高1025」のほうへ参拝することになります。 開運の神社仏閣 出雲國神仏霊場の壁紙 他の壁紙は当サイト内の壁紙メニューからご覧下さい。 当サイトの壁紙はどなたでも自由に利用する事ができます。コピーして印刷するのもよし、ホームページの壁紙やデスクトップの背景に使うのもよし、写真素材としてカットしたり、加工するのもOK。・ただし、当サイトの写真を利用した壁紙集の作成や観光地のPRなどは禁止しています。また著作権は放棄していませんので営利が発生する商用サイトやその目的のために利用する場合には管理者の許諾が必要になります。(原画も用意してあります)メール なおコピーする場合には本人が直接当サイトから行ってください。第三者に写真を譲渡する事は出来ません。 ・他の壁紙は当サイト内の壁紙メニューからご覧下さい。 |
出雲大社=島根県簸川郡大社町杵築東にある出雲大社の正式名称は「いずものおおやしろ」ですが、杵築(きずき)にある所から杵築大社とも呼ばれ、日本NO1のパワースポット、スピリチュアルスポット、縁結びの神様、縁結びの.お守り、結婚式場として全国に知られています。出雲大社は大黒様(だいこくさま)別名(大国主神:オオクニヌシノミコト)を祀り、国引き神話の中心人物として因幡の白ウサギを救ったことでも有名です。旧暦の10月11日から17日まで、全国の神々が出雲大社に集い、神議りをされるので、他の地方ではこの月を神無月といい、出雲地方では、神在月と呼びます。 |
鰐淵寺=島根県平田市別所町にある鰐淵寺(鰐渕寺)は、中国第二十五番・出雲第三番観音霊場で根本堂、仁王門、浮浪の滝、蔵王堂などがある。修験道場で武蔵坊弁慶が修業した地とも言われ、一夜のうちに大山寺から釣り鐘を持ち帰ったという伝説が残っている。また、鰐淵寺の紅葉は県内でも3本の指に入るとも言われるように、11月中旬になるとイロハモミジで山が真っ赤に燃えあがるので、カメラを片手の観光客たちが写真を競い合うように写している。気候によっては、色付いてから一週間以内に散ってしまう場合もあるので、見頃が難しい。 |
一畑薬師=島根県平田市の一畑山(標高300M)山頂にあり、平安時代寛平六年(894)に日本海の赤浦海中から漁師の与市が引き上げた薬師如来をご本尊として、目のやくし・子供の無事成長の仏様.家内安全、心願成就、交通安全などのご利益があるそうです。禅宗(臨済宗妙心寺派)の一畑薬師教団の総本山で、千三百段余りの石段がある参道でもおなじみ |
佐太大神社(さだおおかみのやしろ)=島根県松江市鹿島町佐陀宮内・佐太御子社(さだみこのやしろ)とも云われ、出雲國二ノ宮と称された社。盛時には神領7千貫・神職224人を有し、年間七十余度祭禮が行われていたと云います。旧暦8月24日・25日の御座替祭(ござがえさい)は出雲神楽の源流とも云われています。昭和3年国幣小社に列せられ、本殿三社をはじめ、国・県の指定文化財も多数有しています。出雲地方では大社の神在祭が終わると、引き続いて佐太神社で旧暦:10月17から神在祭が始まります。そして最終日の26日には万九千社で一連の行事を締めくくり、神々たちはそれぞれの国に御帰りになります。 |
月照寺=島根県松江市外中原町179・月照寺は徳川家康の孫にあたる松江藩初代藩主松平直政公が寛文4年(約330年前)に生母月照院様を供養する為に、復興したのが始まりです。公の没後、二代綱隆公が境内に廟を造り、山号を歓喜山と改めて、9代の歴代藩主菩提寺として守ってきました。境内には、鐘桜・唐門、小泉八雲(ラフカディオハーン)の随筆に登場する巨大亀形の寿蔵碑、松平不昧公ゆかりの茶室大円庵、茶筌塚、茶の湯の井戸、力士雷電の碑、手形など、遺品・遺跡が数多く残っています。又、6月中旬に開花する紫陽花(あじさい)の花は圧巻で、あじさい寺としても有名です。 |
賣布神社=島根県松江市和多見町・出雲国風土記に賣布社(めふのやしろ)、賣布神社(めふのかみやしろ)」と記された古社で、「めふ」とは、海藻や草木が生える意味があります。櫛八玉神が速秋津比賣神を生命の祖神としてお祀りになったことに始まり、後に樹種の神とされる相殿の三神が合わせ祀られたと伝えられています。諸々の禍いや過ちや気枯れ(穢れ)を祓い、人本来の生き方や生命力を甦らせるとされます。 |
華蔵寺=島根県松江市枕木町・臨済宗南禅寺派の末寺で、標高456mの枕木山の頂上に位置する。本尊は釈迦牟尼佛で、薬師堂には重要文化財の薬師如来像を奉安、仁王門の金剛力士像や石造りでは大きさ日本一といわれる不動明王像があり、亀山法皇のご病気を癒したという杉井の霊水も湧き出している。展望台から、大根島や弓ヶ浜、大山を遠望できます。 |
美保神社=島根県松江市美保関町美保関・右殿に大国主神の子の事代主神、左殿に大国主神の后の三穂津姫命を祀る。出雲国風土記には、大穴持命(大国主神)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた「御穂須須美命」が美保郷に坐すとの記述がある。8世紀に編纂された出雲国風土記の神社台帳に記載される古社である。美保神社は漁業・商業を始め広く生業の守護神として敬仰され、全国各地にあるゑびす社3385社の総本社として、水産・海運に携わる人々から親しまれてきた。本殿は「美保造(みほづくり)」と称し、大社造(たいしゃづくり)の本殿を左右二棟並立させ、木階を覆う向拝を片流れに二棟通しでつけるという特殊な様式として国の重要文化財に指定されている。12月3日の諸手船(もろたぶね)神事と、4月7日の青柴垣(あおふしがき)神事は知られている。 |
大神山神社奥宮(おおがみやまじんじゃおくのみや)=鳥取県西伯郡大山町大山/大神山神社奥宮は自然石を敷きつめた七百mの参道を登ると、国内最大の権現造りの社殿が見えてきます。幣殿の珍しい白檀の漆塗りや西日本最大級の神輿が有名です。同じく大山の麓に鎮座する大神山神社本社は、菖蒲園(ハナショウブ)や紫陽花(アジサイ)が美しい神社で、修験者が大山登り、そこに修験道場として簡単な遥拝所を設けるようになったのが始まりとされています。平安期になって厳冬の大山では祭儀が行われにくい為、大山の麓に冬宮・本社を造り、夏期は大山の奥宮、冬期には本社で祭儀が行われています。 |
大山寺=鳥取県西伯郡大山町大山・大山寺は奈良時代養老年間 約1300年前に出雲の国玉造りの人で俊方という名の方によって開山されました。俊方が鹿を追って大山に入り、射とめたところ、それは地蔵尊でした。俊方は罪を悔いて出家し、地蔵尊を大山寺に祀ったと云われています。大山寺本堂養老2年(718)金蓮上人によって創建され貞観7年(865)には慈覚大師によって天台宗となる。最盛期には3000人もの僧徒を擁し、山岳信仰の修験場として有名です。大山寺本堂隣りにある宝牛(撫で牛)触れるとご利益があるそうです。「中国観音霊場二十九番礼所・伯耆観音霊場十四、十五番礼所」見所:護摩堂〜下山観音堂〜大山寺〜大神山神社奥宮〜下山神社・・ |
清水寺=島根県安来市清水町・清水寺は1400年前に尊隆上人が開山した天台宗の寺院で、三重の塔は1859年に地方大工が三代をかけて完成させた山陰唯一の総けやき造りの木造多重塔。地上から棟までの高さ21.1メートル、宝珠の先端までは33.3メートルあり、信仰厚い1万人の浄財で建立されました。200円で上まで登ることが出来ますが、階段がとても狭くて急なので制限を受ける方が出てきそうだ。又、光明閣を入ると日本庭園があり、抹茶を味わう事が出来ます。公園内の旅館では、名物「精進料理」が楽しめ、お土産には「清水ようかん」が有名です。桜や紅葉の時期は美しい。 |
雲樹寺=島根県安来市清井町・中国観音霊場第27番札所、瑞塔山雲樹寺は1322年に孤峯覚明三光国師によって創建。後醍醐、御村上天皇の勅願寺として知られています。また境内には仏像やユニークな石仏などが多く点在するが、特に山門と鎮座する地蔵大菩薩は天候と共に刻々とその表情を変化させて存在感を与えてくれる。 |
竹内神社=島根県松江市八幡町・平濱八幡宮の創建年代は不詳、出雲国最古の八幡宮といわれている。京都の石清水八幡宮の別宮として天永2年(1111年)大政官の命を受け、江戸時代は一社一令の神社として特殊の地位にあった。 主祭神應神天皇は我国の文化及び産業を非常に発展させられたので、文教、殖産興業の守護神として広く信仰されている。 長寿であったことから、延命長寿、開運厄除、諸災消除、家内安全、商売繁盛などの御利益がある。 |
八重垣神社=島根県松江市佐草町227・八重垣神社は「ヤマタノオロチ」を退治したという素盞嗚尊(スサノオノミコト)と稲田姫命(イナタヒメノミコト)が新居を構えた地で、和歌の発祥の地でもあります。「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」という三十一文字和歌は日本で最初にこの地で詠まれたものです。この和歌からも察しがつくように八重垣神社は縁結びの神様、子宝の神様として有名で、境内の至る処にそれを表す木彫りのシンボルが安置されています。また、素盞鳴尊と稲田姫命ほか六神像が描かれた壁画は書籍などで有名ですが、神社建築史上類例のない壁画として、国家より重要文化財の指定を受け、宝物収蔵庫で公開しています。 |
熊野大社=島根県八束郡八雲村熊野・旧称熊野坐神社、熊野大神宮、熊野天照太神宮・主祭神はヤマタノオロチを退治した素戔嗚尊(スサノオノミコト)。古来杵築大社(出雲大社)と並びて出雲の國の大社と遇された神社で一之宮の格式を持ち、出雲大社よりも古いといわれています。天文11年(1542)大内、尼子の決戦で熊野大社は焼失し詳細な資料は少ないですが、出雲大社では毎年11月23日「古伝新嘗祭」で、熊野大社から授けられた「ヒキリウス」と「ヒキリキネ」によってきり出された神聖な火で、すべての食事が作られることになっている為に、毎年10月15日、出雲大社神職が熊野大社を訪れて、神聖な火をおこす「ヒキリウス」と「ヒキリキネ」をお受けになります(鑚火祭)。その時に出雲大社神職が供える餅について、亀太夫(カメダユウ)といわれる熊野大社神職が、餅のできばえが悪いとか、去年より小さいとか、まくしたてます。 |
須我神社=島根県雲南市大東町須賀・須我神社は島根県大東町にある日本で最初に出来た宮になります。祭神:須佐之男命・奇稲田比売・清之湯山主三名狭漏彦八島野命・古事記(和銅5年・西暦712年)所載=肥河上で八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した素盞鳴尊(スサノオノミコト)が、宮を建設する場所を求めて出雲国須賀においでになり、「吾此地に来まして我が心須賀須賀し」と仰せになって宮殿を建設するときに美しい雲が立ち騰がるのをご覧になり、「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」の御歌を御詠みになられました。これが出雲の国名の起源、また31文字(みそひともじ)の和歌発祥の地といわれています。更にここから2Kmほど先の八雲山入り口には、日本俳句の会による和歌が400mに渡って奉納されており、最後に須佐之男命・奇稲田比売が祀られた夫婦岩に辿り着きます |
峰寺=島根県雲南市三刀屋町給下・斉明4年(西暦658年)、役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)が修行をなされ、弘法大師(こうぼうだいし)は真言密教の道場をここに開かれた。 盛期には全山42坊を整え、山伏(やまぶし)を統括したが戦国期に兵災にあい、堂宇古記類を焼失。永禄年間(1558〜69)当時の僧・快遍(かいへん)により再興。火祭り柴燈大護摩供養(さいとうだいごまくよう)」では、たくさんの参拝者で賑わう。 伊我山を借景にした庭園は、松平不昧公の作庭。 |
須佐神社=島根県出雲市佐田町・須佐神社は、須佐之男命(スサノオノミコト)の御魂を祀る唯一の神社で出雲風土記にも登場します。全国の須佐之男命を祀る神社の総本山的な位置にあります。本殿は出雲大社や熊野大社と同じ大社造りで島根県の文化財に指定。社名の変更や(須佐社、須佐神社、十三所大明神、大宮大明神、須佐大宮)社殿の再建などを経て、明治32年国幣小社にも指定。全国NO1パワースポットともいわれます。須佐神社七不思議=塩井(しおのい)神馬(しんば)相生の松(あいおいのまつ)陰無桜(かげなしざくら)落葉の槙(おちばのまき)星滑(ほしなめら)雨壷(あまつぼ) |
長浜神社=島根県出雲市西園町・国土生成の神である八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)を祀る。創立は和銅三年(710)以前で、 妙見社(みょうけんしゃ)・妙見大社(みょうけんたいしゃ)などと呼ばれていた。豊臣秀吉の唐入り(朝鮮出兵)の際の百日祈願でも知られる。加藤清正(かとうきよまさ)や片桐且元(かたぎりかつもと)・福島正則といった武将の参拝があり、「武道・スポーツ上達の守り神」として広く知られている。 |
日御碕神社=島根県出雲市大社町日御碕・素盞嗚尊は、根の国にわたり熊成の峰に登ると「吾の神魂はこの柏葉の止る所に住まん」と仰せられ、柏の葉を投げ、占いをされた。すると柏の葉は風に舞い、やがて日御碕の現社地背後の「隠ヶ丘」に止った。これにより素盞嗚尊の神魂の鎮まる処として斎き祀ったといわれています。 日御碕神社は島根半島の西端に位置し、神の宮に素盞嗚尊、日沈宮に天照大御神をお祀りしている。 奇魂(くしみたま)と、和魂(にぎみたま)の御霊威をいただいた御神徳は「邪心を払い給う神」「厄除けの神」「産びの神」「縁結び、夫婦円満、家運繁栄の神」「交通安全の神」「殖産興業、安産の神」他。 |