倉吉の町並み/風景写真集 壁紙 大蓮寺 弁財天 白壁土蔵群 打吹公園
白壁土蔵群は鳥取県の中央部に位置し、JR倉吉駅から車で15分、桜、ツツジで有名な打吹公園の近くにあります。白壁土蔵群は玉川沿いに並んでいますが、この辺は江戸、明治期に建てられた建物が多く、周辺一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。玉川の石橋や、赤い石州瓦、白い漆喰壁と黒い焼き杉板が倉吉の風情を醸し出し、民家を改造したような商家には年代物の装飾品等が陳列されて当時の雰囲気を残しています。ここに来ると、色あせたポスターやほころんだ人形たちが忘れてはいけない何かを教えてくれるような気がしてなりません。またとなりには打吹山(打吹公園)があり、森林浴の森100選、さくらの名所100選、日本の都市公園100選、として四季折々の美を眺めることが出来ます。倉吉の町並みと商家=倉吉の町は室町時代に打吹城の城下町として形成され、江戸時代には陣屋(現成徳小学校)を中心に武家屋敷が設けられて、当時「町屋十八町」と言われました。人口は寛永2年(1749)には2928人、弘化3年には4424人で倉吉の地名が記録にあらわれてくるのは大正11年(1583)以降です。江戸時代末期から明治時代にかけて東仲町を中心に有力な商人があらわれてきました。これら商家の建物は間口が狭く奥に細長い店舗併用住宅で裏側には、裏門倉・土蔵・裏座敷などが建てられ、今なお玉川沿いに土蔵群としてその名残をとどめている。当桑田家はその代表的商家の一つです。案内板より






大蓮寺
本堂は昭和30年に再建。境内には弁財天が祭られ、建武の武将、脇屋義助や
大阪の豪商、淀屋清兵衛と一族の墓がある。








大弁天










大弁天のコケ生した鯱









白壁土蔵群へ続く路地






その他
手動式のポンプ車 当時の家屋内部 裏庭:入り口は狭く縦に長い構造
倉吉の町並みと商家=倉吉の町は室町時代に打吹城の城下町として形成され、江戸時代には陣屋(現成徳小学校)を中心に武家屋敷が設けられて、当時「町屋十八町」と言われました。人口は寛永2年(1749)には2928人、弘化3年には4424人で倉吉の地名が記録にあらわれてくるのは大正11年(1583)以降です。江戸時代末期から明治時代にかけて東仲町を中心に有力な商人があらわれてきました。これら商家の建物は間口が狭く奥に細長い店舗併用住宅で裏側には、裏門倉・土蔵・裏座敷などが建てられ、今なお玉川沿いに土蔵群としてその名残をとどめている。当桑田家はその代表的商家の一つです。案内板より




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