倉吉の町並みと商家=倉吉の町は室町時代に打吹城の城下町として形成され、江戸時代には陣屋(現成徳小学校)を中心に武家屋敷が設けられて、当時「町屋十八町」と言われました。人口は寛永2年(1749)には2928人、弘化3年には4424人で倉吉の地名が記録にあらわれてくるのは大正11年(1583)以降です。江戸時代末期から明治時代にかけて東仲町を中心に有力な商人があらわれてきました。これら商家の建物は間口が狭く奥に細長い店舗併用住宅で裏側には、裏門倉・土蔵・裏座敷などが建てられ、今なお玉川沿いに土蔵群としてその名残をとどめている。当桑田家はその代表的商家の一つです。案内板より |
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