1872(明治5)年3月14日夕方、浜田を中心にマグニチュード7.1と推測される地震が発生し、死傷者1000人以上の大きな被害を」もたらしました。
この地震によって、国分海岸」一帯が隆起し、石見畳ヶ浦は現在の姿となりました。
浜田地震と畳ヶ浦(江戸時代M7.1)
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●馬の背と化石