ユネスコの世界遺産委員会は2007/6月27日、島根県大田市・石見銀山遺跡の世界遺産.新規登録の審議を行い、「登録」と決めた。 石見銀山(大田市大森町にある為に大森銀山とも呼ばれる)=島根県大田市にある石見銀山 龍源寺間歩(いわみぎんざんりゅうげんじまぶ)は正徳5年(1715)に開発されました。間歩(まぶ)とは坑道がある山の意味で、石見銀山といえばこの龍源寺間歩の場所を示します。江戸時代には開掘の長さが600mにも及ぶ大坑道で、良質の銀鉱石が沢山発掘されましたが、昭和18年(1943)に閉山され、228年の長き歴史に幕を下ろしました。当時の坑道作業は過酷を極め、粉塵の被害などで、体調を崩す坑夫が続出、多くの坑夫を必要としました。石見銀山が繁栄していた頃には、銀山七谷に坑夫たちの住居が13000軒もあり、唐人たちも住んでいた処から察すると、やはり坑夫の採掘がいかに大変であったか感じとれます。石見銀山から発掘された銀は小判などに加工されて戦国大名の軍資金や江戸幕府の財源として使われましたが、中国や朝鮮半島、ポルトガル、スペイン、など海外にも数多く輸出され17世紀前半の石見銀の産出量は年間約1万貫(約38t)と推定されるそうです。これは世界の約3分の1の銀産出量を占めていた事になります。1969年4月14日には他の13箇所の銀山遺跡とともに「石見銀山遺跡」として国指定史跡(文化財)に指定されました。銀鉱石(原石)から採りだした石州銀小判(大)と石州銀小判(小)もあります。石見銀山龍源寺間歩の公開坑道部分の長さは273m:入場料大人400円・子供200円
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世界遺産、石見銀山の街並み(町並み)と写真




石見銀山 城上神社と観世音寺
永享6年1434年大内氏が仁摩町馬路の城山から分霊:祭神は大物主命(大国主命)
寛政12年(1800)3月24日の寛政の大火で焼失後、再建された。拝殿の格子天井には鳴き竜が描かれている






石見銀山の街並み:城上神社





石見銀山の街並み城上神社の天井には青い鳴き龍が描かれている





石見銀山の街並み:城上神社の隣にある大きなキツネ




観世音寺
かつて代官が参拝に訪れていた寺で、石城のような寺の階段を登ると
大きな仁王像が安置されている。幕末には儒学者佐和華谷が住持していた。






石見銀山の街並み:観世音寺の仁王象:観世音寺が高台に建つ






石見銀山の街並み:観世音寺の仁王象




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