乙女峠マリア聖堂
乙女峠マリア聖堂=島根県鹿足郡津和野:明治維新後、浦上四番崩れというキリシタンの弾圧によって、長崎の信徒約3400人が全国に配流され、鹿児島、萩、津和野、名古屋など20ヶ所がえらばれた。時の幕府は信者たちを津和野藩にも預けられて、キリシタン改宗のために乙女峠にあった廃寺光琳寺で日夜拷問を受けさせた。明治6年までに殉死した信者は、36人。交通=広島からバスで3時間・山口から1時間19分・大阪から直通バスで8時間20分・東京から直通バスで13時間50分/JR東京〜小郡5時間9分・大阪〜小郡2時間6分/松江〜車で3時間45分その他の見所殿町通り津和野現代フォトギャラリー吉永米穀店葛飾北斎美術館津和野美術館津和野町民俗資料館津和野カトリック教会津和野町立安野光雅美術館杜塾美術館津和野町郷土館板橋アンティックドール美術館津和野今昔館森鴎外旧宅森鴎外記念館西周旧居嘉楽園津和野城跡太皷谷稲成神社鷲原八幡宮永明寺津和野温泉観光ホテル津和野温泉宿わたや星と森の科学館堀庭園道の駅津和野温泉なごみの里




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乙女峠マリア聖堂

キリシタン禁令による長崎浦上の36人の殉教者と聖母マリアに捧げる記念堂。
昭和26年、津和野カトリック教会パウロ・ネーベル神父によって建立。











マリア聖堂内部











水責め、火あぶり、減食、などの拷問が繰り返される中、安太郎という若者が
裸のまま雪の中にある三尺牢に入れられて見せしめにあう。











レリーフ










千人塚=拷問で殉教したキリシタンの墓

「切支丹鮮血遺書」の著者、ビリオン神父が、明治25年に殉教者の遺骨を一つにまとめて埋葬









殿町通りの津和野カトリック教会